今後、弊社に来て下さるであろう未来の幹部候補生の皆様へ
いきなりですが、自分の経営してきた会社を飾って、カッコ付けて表現しても、何ら意味がないので、どうしようもないただの、正直なおっさんの生きてきた道や、考えをお聞き頂きたいと思います。
世の中には、“参ったなぁ~”って言葉があるやろ?社会人になって、仕事がうまい事、運ばんかったり、彼女や奥さんの逆鱗に触れてしまったり・・・“参ったなぁ~”って一言出てくるやろ?・・・そんなんマシやで。俺なんか、京都の伏見で、生まれ落ちた瞬間から、「おぎゃ~」と泣く代わりに、“参ったなぁ~”言いながら、出てきたらしい。これこそ、ホンマに参るやろっ?
・・・冗談抜きで、生まれ落ちた瞬間から、俺の自力では、如何ともしがたい参ったちゃん人生が始まったわけです。・・・(途中は、次回本書くから、端折ります)それから、何回か、タライを回すように引っ越しをし、中学生になって初めて、母親と名古屋で、ドクダミ荘みたいな、雨漏りする(2階建てで、うちは1階やのに)し、ヤモリおるし、カエルも同居してるし、猫が、勝手に住んでるし、五右衛門風呂やし、鍵をかけてても、窓が開く不思議なお部屋がある、とても、キュートで、ミステリアスなアパートに住み始めた。
でも、自分にとっては、天国やった。人生初のフリーダムを手にした感じだったから。しかし、名古屋って凄いなぁ~と思いました。地下街ってのがあり、信号もある。・・・ちなみに、歩行者用の信号の点滅を初めて見て、腰抜かしそうになった。えっええ?この信号すごい!賢い!俺が渡りきるまで点滅しててくれてるんやと、まじめに思ってましたから。
そんなこんなで、非常にレベルの高い中学校を卒業し、非常にレベルの低い高校に進学し、そしたら、いきなり、毎日が天国のような高校生活が始まり、3年間も天国にいると、麻痺してくるのか、1年間、河合塾(普通は、家の近所の河合塾へ行くが、俺は、違うよ!河合塾名古屋駅裏校へバス通学してた。これがまた、楽しいのなんのって。)にお世話になり、翌年大学へ行き、2年後にほぼ学生結婚のような形で、結婚(所持金7万円)して、同時に、大学退学し、アルバイトをしていた外食産業に就職したわけです。・・・とにかく勉強したし、勢いがあったから、会社員になって、上司だろうと自分は絶対負けてない自信がありました。
・・・で、どうしたかというと、社長あての上申書に、俺を店長にしてくれ!俺を店長にすると、こんなにバラ色になるぞ!と書いたんですね。俺のほうが、既存のマネージャーより、絶対優秀やし、アイデアもあるぞと!
そしたら、半年後に店長に昇格や!当時の史上最年少で。・・・そこでも、生意気やから、キッチンのチーフが俺を気に入らないからって事で、ランチタイム前の死ぬほど忙しいときに家に帰ってしまった!・・俺は、一瞬目が点になり、このままでは、ヤバい!と思った。次の瞬間、立派なビルにある本部に電話入れ、事情を話し、数人回してくれ(キッチン出来る奴)!ハリ~~~アップやでぇ!ってね。事なきを得た。
そんなこんなで、自分の中にもノウハウが積み上がってくると、以前から思ってた、「自分の店が持ちたい」ってことが、ふつふつと萌え出してきたんやな。毎日毎日、汗かきながら、自分の身長より高い荷物を台車に乗せ配達してる佐川マンを目にして、これだぁ~と思いました。・・・そうだ、京都へ・・・じゃなくて、佐川へ行こう!と。
・・・でもう、すぐに、退職届を出しました。・・・そしたら、当時の社長に、すっごいビルの中にある役員室のフカフカ高級ソファーに座らせていただき、考え直すように言われました。が、考えは変わることなく、佐川急便の面接へ。まぁ~しかし、当時の佐川急便のドライバーってか、中で働いてる方々は、いろんな意味で、すごかったな。凄すぎた。佐川急便の中は、一種の治外法権だったからね。(内容詳細は、また本で書くことにする。)
誤解を恐れず正直に書くけど、仕事をしていて、過労とか、鬱になったとか、・・・いろいろな方々がおるけど、仕事の対して、やらされてる感があるんとちゃうかな?だって、俺、休まないし、睡眠時間、めっちゃ少ないけど、ぴんぴんしてるからね。やらされてると思うと、何もかもが、ダメになってしまうんやで。いやなことの中に、何か光を見つける訓練をするとイイとおもうよ!暗闇の中で、自分を鼓舞し自分で、自分をほめて、そして、助けるんや!これが、究極の生き残る道やで。
サラリーマンになって初めての研修で、30人くらいで輪になって、会社に入ってからの抱負を聞かれて、仕事より、週休二日で、家族孝行をしたい!とかぬかしやがった連中は、今いずこ?跡形もなく、何してるかもわからん状態や。仕事が全てとは言わないし、今の世の中、仕事ばかりもどうかと思うが、・・・でも、20~50代くらいは、仕事に持てる時間のほとんどを費やし人生の向上をはかる時じゃないのかな。でないと、世の中の厳しい場面において、耐え忍ぶ勇気が必要な時に、逃げてしまう奴になってしまうと思う。
考えてみれば、芸能人だって、スポーツ選手だって、半端なく訓練鍛錬を積んで、泥水をすすりながらやってきた奴だけが、残ってるんじゃないですか?
俺の親友M(河合塾で知り合った。)は、親父の跡を継ぎ不動産屋を経営してるが、そいつが、息子の話をした時、そこそこ有名企業に就職できたが、サービス残業の嵐、上司のパワハラ・・・有名企業だが、内情は、そうでもないらしいと。でもMは、,息子に言いました。理不尽な上司に当たったなら、喜べと。理不尽を解決するために、人間は、知恵を出し考えるんだと。それくらい耐えられないようでは、人の上には、立てないと。もし、どうしようもなく、死にたくなった時だけ電話して来いと。
1988年に、自分一人で始めた、この事業(金ない、コネない、バックない、人いない)は、昼間、営業で、22時から朝6時まで、アルバイトをして食い繋いでいた。
ちょうど、この1年前に、二男が生まれたばかりの頃だった。この時、自分は、26歳。今思えば、少々、イカレテル感じだな。家族や、周りは、‘勘弁しろよな~’って思ったに違いない。
しかし、何故だか解らないけど、滅茶苦茶、自信があった。働けど、働けど、苦しい毎日だったが、何故か、うまくいきそうな気がしていた。大体、365日無休で24時間働きまっせって言う勢いの奴を、神様が見捨てる訳がないと思ってたから。
1浪して、大学へ行き、2年で中退し、外食産業のサラリーマンを約2.5年。店長に昇進してから退社。佐川急便へ。サラリーマン時代は、平均月給12万円くらい。佐川急便では、構内作業で25万円、ドライバーになると60万円。
スゴイでしょ!佐川急便の高給さ。ここの2社で、学んだね。本を書けるくらいの密度で。
この頃から、すでに、夜中も仕事しまっせ!少々寝なくても死なないし、普通の会社の月給の4倍以上稼ぐと言う事は、どういう意味なのかって事を、体が覚えた時期だった。ここでの経験や、イズムは、当然、JTEと言う会社の中に脈々と流れているのであります。
創業当時も、後発の若い会社が、既存の会社や、色々な世の中の渦の中で生き残るには、
「理不尽な出来事に文句や、愚痴を言わず、黙って、人の3倍働く事!」誰にでも、今すぐ実行できる、非常に原始的な単純な考え方で生きてきたのであります。
会社を大きくするにあたって、色々な壁を破って行かなくてはならないが、うちの会社の成績は、毎年、急伸することはありませんでした。確実に伸びるけど、少しだけ。大きくするには、沢山、社員を入れなければなりませんが、最近まで、中々、人が続かなかった。原因は、解ってます。一緒に働く人間が、愚痴ばかり言ってたり、上手くいかない理由を会社や他人のせいにしたり、口ばかりで実際に動かない奴とか、根性なしが、自分は、大嫌いだからです。目つきや、雰囲気に出るらしいです。面接時点でそういう素振りが見えたら、帰り際、チョークスリーパーで絞めてやろうかと思うくらいですから。
でも、数年前に気づきました。清濁併せ飲む度量が必要であると。そして、・・・
今では、休みましょうね。皆さん。俺は、休まないけどみたいな(笑い)。ここまでは、昭和時代の遺産みたいな話でしたが、ここからが、みそなんです。うちの会社はね、この仕事に愛情があり、自分の責任から逃げない人にあとを継いで欲しいと思っております。組織的に社長以下の役職が少なくフラットなんです。ポストも豊富です。大阪、名古屋、東京と好き放題です。人間が好きな人にとっては、ワンダフルやで。
したがって、次世代の社長が、自分と同じ性格で力があるなんて、全く考えておりません。良いところだけ受け継いで、いまどきのやり方で伸ばしていってほしいと思います。よく考えてみてください。偏差値55そこそこのチューと半端な学力で、チューと半端な大学へ行って、チューと半端な二流商社で土いじりとか、はたまた、Uターン就職とか言って、地元の、チューと半端な企業の歯車になり、55歳で、年収600万円になるころには、肩たたきやで。それで、ええんか?
会社としての方向のイメージは、小さいころから何ら変わりありません。船で言うなら、1艘のタンカーではなく3艘のジェットボート。車の世界なら、ゼネラルモータースやTOYOTAではなく、理想は、ポルシェのような会社にしたいと考えます。3社の会社に、4WDで、高性能ターボエンジンを積み、高性能ブレーキを装着し、一気に駆け抜け、障害物が見えたら、いきなり止まれるハイパフォーマンスな会社。それが、JTEの近未来です。JTEは、今後の10年で、3倍の規模になっていると想像しております。
あと、これを読んだ入社希望者は、3年間、石に噛り付いても辞めない覚悟で来いっ!道は開ける。以上。
㈱JTE 代表取締役